私の心身症を治してくれた人たち
前回のブログから3日たってしまった。
実は、2日前にこのテーマで書いたブログを、最後に、見直し手直しをしていたら、うっかり消してしまった。
あれっと思った時には真っ白。
何を間違えたのか不明。
ああでもないこうでもないと頭をひねって、やっと書いたブログが、一瞬でパア。
がっかりして、また時間と労力をパアにしたくないという思いから、その後しばらくブログに手を出すのがためらわれた。
というわけで、本日、もう一度同じテーマで書こうと思う。
25年ほど前、色々なことが重なって疲れていたのかもしれない。
突然おかしくなった。
人前で手が震える。カップや箸を口までもっていこうとしても震える。レジで財布からお金を出して渡そうとすると震える。身体もかたまり、冷や汗が出る。
震えまいとすると、余計に震える。
一番困ったのは、バイオリンの弓が震えてうまく操作できなくなったこと。
いつ、その状態が襲ってくるかわからない。
当時すでに自宅で教えていた。
生徒に弾いて見せなければならないので、困った。
オーケストラの本番の途中で、我慢できなくて抜け出した。
今思うと、これが始まりだったかもしれない。
そのころ、我が家のこどもたちもまだ手がかかり、なんとか市民オーケストラで唯一、まともに弾く場を確保していた。子連れの週末の練習も、本番も楽しかった。
リハーサルではいつも通り、なんともなかった。
ところが、本番が始まったとたん、自分の右腕がおかしい。
まともに動かない。動揺してますますおかしくなる。
何とかごまかして、休憩に入ったとき、体調が悪いのでと、退場してしまった。
それから、食事中の手の震えなども始まり、対人恐怖症もどきになり、病院へ行った。
当時、病名は言われなかった。私も知識がなかった。
抗不安剤を出された。
薬を飲めばやり過ごすことができたが、常用はしなかった。
なるべくなら、飲みたくないと思っていた。
薬が増えることが怖かったのだと思う。
お医者さんも、薬がなくなったらいらっしゃいという感じだった。
おかげで薬の依存症にならずに済んだかと思う。
しかし、徐々に軽くなったとはいえ、気が付けば7年。
まだ、人前で弾く時は抗不安剤にたよっていた。
完全に縁を切りたいと思った。
いろいろ考えて、たまに人前で弾くからよくないのかもしれない、習慣的に、同じ場所、慣れた場所で、同じ人たちの前で弾けば、その状態が特別ではなく、日常になり、妙な震えや硬直はなくなるかもしれないと思いついた。
ピアノの友人に相談して、市のボランティアセンターに二人で登録した。
身障者施設で毎月小さい曲を何曲か弾いて聴いてもらう。
始めは1か所だったが、そのうち2か所になった。
車いすから離れられない重度の人たちの施設と、動き回れる人たちの施設。
行き始めた最初のころは薬を飲んで出かけた。
何年後かもうわからないが、いつのころからか薬を飲むことはなくなった。
なぜか。
私が、ボランティアを始めてはじめてわかったこと。
あの人たちは正直だ。ウソがない。
口先だけのお世辞もないし、お義理の拍手もしない。
つまらなければ、大声をあげるか、どこかへ行ってしまうか、寝てしまう。
気に入れば、車椅子のなかで手足をバタバタさせたり、歌ったり(歌に聞こえないかもしれないけど歌っている)、踊ったりする。
こちらも、なんとか退屈させないよう、選曲や弾き方を工夫する。
うまく弾こうとか、技術を見せようとか、関係ない。
全くシンプルである。
退屈するか、気に入るかだけ。
そして、彼らの感情はストレートだから、
こちらも余計な気を回したり、本当はどう思っているんだろうなどど考えなくていい。
このシンプルさが、私の心身症を治してくれたと思う。
そして、もうひとつ。彼らはとても優しい。
ボランティアである。「来てくれてありがとう」と言われる。
とんでもない!感謝するのはこちらの方です。
先日、重度の身障者施設で、演奏が終わって片付けている時、ひとりの女の子に「がんばってね」と言われた。
演奏した中に、彼女の好きな曲があったようだ。
「愛のあいさつ」だったか、ジブリの「ねこバス」だったか。
女の子といっても年齢はよくわからない。20代かと思う。手足麻痺。言葉もはっきりしない。かわいい大きな黒い眼は何も見えていないそうだ。
この施設に通いだして10年以上たつ。
初めて言われた。「がんばってね」
はじめ、何と言っているのかわからなかった。
彼女の付き添いの職員さんが通訳してくれてやっとわかった。
そのときの、女の子の表情。
ハッとするほど素敵な笑顔。
こんなに曇りのない笑顔を見たことがあっただろうか。
胸がいっぱいになった。
ありがとう。元気をくれて、本当にありがとう。